自由になりたかった私が気づいたこと
先日、香りを使ったパーソナルカウンセリングをしました。
「最近の嫌だなと思うことから解放されて、ごきげんな自分になった」とイメージして
香りを嗅いでいただくと、気になった香りと苦手に感じた香りに共通するテーマが見えてきました。
それは、
「自分は自分」
「自分で決めて行動したい」
という想いでした。
誰かにとって心地いい自分ではなく、自分が心地いい自分でいたい。
そんな想いだったのかもしれません。
そこから
「私が感じていた違和感はここだったんだ」
「ここが辛かったんだ」 と、ご自身で気づかれたのです。
自由になりたいと思う時、私たちが本当に求めているのは、
何でもできることではなく、
「自分の気持ちを大切にできること」
「自分で選べていると感じられること」
なのかもしれません。
このカウンセリングを終えて、ふと私自身のことも思い出しました。
私も以前、「もっと自由が欲しい」と強く思っていた時期があったからです。
私は、自宅療養していた主人と近くに住む母の介護をしていました。
その頃は、時間の自由が欲しかった。
「自分で予定を決めたい」
「 好きな時に出かけたい」
「自分のための時間が欲しい」
そう思っていました。
でも、母が施設にお世話になり、主人が他界し、役目を終えた時、
確かに自由な時間は増えました。
自由だらけです(笑)
なのに、少し寂しくさえ感じたんです。
(もう一回戻りたいということではありません…)
あれほど欲しかった自由を手に入れたのにです。
その時に思いました。
私は、不自由だったからこそ、自由のありがたさを感じられたのかもしれない。
そして、役目を「やらされていた」だけではなく、自分なりに大切にしていたのだと。
また、不自由と疲弊は違うのだということも感じました。
今思えば、一番つらかったのは不自由さそのものではなく、
「私がやらなきゃ」
「できるだけ迷惑をかけず、いつも通りに」
「自分だけ楽しんではいけない」
「弱音は吐いたらダメ」
と、自分で自分を縛り、疲れ切っていた時でした。
実際には、たくさんの人に助けてもらっていたし、
弱音も吐いて支えてもらっていたので、それほど不自由ではなかったんです。
私の思い込みです。
今、どうしても抜けられない不自由さの中にいる方もいらっしゃると思います。
介護や仕事、経済的なこと、家族の事情……。
自分の気持ちだけでは変えられないこともあります。
だから、「もっと自由にならなきゃ」と頑張らなくて大丈夫。
せめて自分で自分を縛っているものを、少しだけゆるめてあげて欲しいと思います。
でも、それが難しいんですよね…
私もできませんでした。
そんな時は、誰かに話してみてください。
話してみることで、
見えていなかった選択肢に気づいたり、
少しだけ心が軽くなったり、
無理だと思っていたことが、意外とスムーズにできたことがあります。
自由とは、何でもできることではなく、
自分の心を少しゆるめてあげること。
そして、限りがある中でも、自分で選べることを見つけていくこと。
そんなところから感じられるのかもしれません。
あなたを縛っているものは、何ですか?
もし少しだけゆるめられるとしたら、何を手放せそうですか?
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