私がセカンドライフを始めたきっかけ



訃報通知が届く頃、 いつも思い出すことがある

 もう10年になろうとしているが、

あの日の衝撃は、まだ鮮明に覚えている 

 仕事帰りの郵便受けに、訃報通知が何通か。


 どなたが?と思いながら見ていると、

そこには、 「妻〇〇が」と書かれた一枚のハガキ。

差出人の苗字と妻の名前を合わせると、私の親友の名前になる。 

 ウソだ!

 間違いだ!

 たまたま同じ名前の人に違いない! 


 手を震わせながら、家に帰り、 

 何を思ったか、アドレス帳をめくり、同じ名前の人がいないか調べた。

 もう一度、見直しても そこには彼女の住所が書かれ、年齢も同じだった。


 一気に震えがきた。 


 えー。 どうしたらいいかわからない。


 どうやって仲間と共有したらいいのかもわからなくなり、部屋をうろうろしていた。

 LINE、いや、その頃はメールだったかな。

 やっと、知らせることができ、 次々に返事が返ってきた。

 あわてて電話をくれた友人もいた。

 何を話したのかは、もう覚えていない。

 だけど、友達の声を聞いて、「現実なんだ」と思った覚えはある。 


それほど、予想外のお知らせだった。




 彼女とは、何年も会ってなかった。 

 短大時代、ずーっと一緒に過ごして一緒に旅行もした仲。

 結婚して、義理のご両親と同居したり、転勤したりで、会うことはなかった。 

 年賀状はやりとりしていたので、西宮にいることは知っていたが

 全く病気のことは知らなかった。


 その年の夏、他の仲間と集まった時に、彼女の話が出た。

 「どうしてるんだろうね。 会いたいねって年賀状に書いてたし、そろそろ会ったりできるかもね。 また連絡してみるね」


  私は 「また」を後回しにしてしまった。



 この出来事が私のその後の生き方を変えるきっかけになったのは間違いない。 


 のちにご家族の方に聞いた話では、  彼女は、入院を嫌がり 家族と共にそれまでと同じ時間を大切に生きたそう。


 あまり、自分の友達と出かけることはなかったので、 お葬式も誰にどう知らせたらいいかわからず、お別れもしてもらえませんでした。 と。


 写真もあんまり撮らなかったのでなくて と、仏壇には私が知っている頃の面影で、とても美人で清楚な笑顔の彼女。 

 苦しい姿は想像できない。

 おかげで、私が今でも思い出すのは、一緒にいた頃の彼女。 


 もしかしたら、 それも彼女が選んだことなのかもしれない と、思ったら 

 彼女の家を出てから 涙が溢れて、声をあげて泣いてしまった。 


彼女はどんな思いで、逝ったのだろう

やりたかったことは全部できたかな



 人生は、全て自分の選択。

そして人生は有限。

タイミングを逃さないで。

自分の人生を満喫して。

 


 彼女が身をもって教えてくれた。 


 そこから私のセカンドライフが始まった。


長文を最後まで読んでいただきありがとうございました。

そこからどう変わったのかは、また別に。

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